引用元: ・部落や集落とかの怖い話を集めるスレ
創作くさいし長文だし駄文でスレ違いかもしれないが、勝手に書いてくよ。
田舎は閉鎖的で人間関係がすごく陰湿。私は小学生のとき3回転校して4か所の小学校に通った。ちなみに全部、田舎の小学校。全校生徒10人くらいなんてのはざらで、木造校舎だったり分校だったりした。
スーパーなんて車で1時間はかかるから移動販売車が来る、それも小学校のある中心部だけ。周りは田んぼと山だらけで少し歩けば、今でいうところの消滅危機集落。
集落は全員顔見知りで知らない人がくれば、あれはだれだとヒソヒソ話。よそ者には警戒心が強くて、なかなか本心を語らない。田舎ってそんなところ。
でもいいところがないわけではなかった。一度中に入ってしまえば、仲間意識が強いから困ったときは率先して助けてくれる。農業のやり方はお年寄り連中に聞くのが一番だし、シイタケの原木作り体験やわらじをあむのも面白かった。
遊ぶ場所は田んぼや山しかなかったけど、子どもが少ないから年上年下関係なくみんなで遊んでた。冒険ごっこやツツジの蜜を吸ったり、野イチゴ食べたり神社でかくれんぼしたり結構楽しかった。かれこれ30年以上前の昭和の話。
なぜ私がそんな田舎の小学校ばかり通っていたかというと、私の父は駐在所勤務の警察官だった。何人かの警察官が交代で待機してるのが交番で、駐在所は住居も兼ねてるからそこに住みながら警察の仕事もできる。
田舎の方では、交番を作るほどの予算も人手もないから、駐在所に住みながら24時間お仕事をする。もちろん24時間というのは比喩ではなく、警察官が不在の場合でも来る人がいるから警察官の奥さんが対応することもある。私の母は元婦人警官で、そういう対応には慣れていたようだった。
また、なかなかそういう夫婦は少ないから重宝もされていたんだろう。駐在所周りを転々とした。おかげで小学生のときは、駐在所にしか住んだことがない。
例えば、お酒の席でケンカが起きたことがある。ケンカ自体は珍しくないのだけど、刃傷沙汰になってしまい父が呼ばれたことがある。
で、どうしたかといえばお酒が抜けたから大丈夫だといって帰された。母が本庁から人を呼ばないのか聞くと、私らで何とかするから駐在さんはいらんと、父は帰されたらしい。
その後、刃傷沙汰をおこした人は集落で見かけなくなった。まあ、そういう感じ。
じゃあ駐在さんは何をするんだといえば、主に集落以外の人が絡んだ事件で役に立つ。農作物の泥棒とか、山への不法侵入とか。
それ以外の事件のない日は何をしているかというと、週に1回本庁に行く以外は、保育園で飼う野良兎を捕獲したり、一人暮らしのお年寄りの様子を見に行ったり…と集落のために働いていた。
そんな駐在さん(その子供を含む)の立ち位置は、ちょっと微妙で複雑でもある。
例えば、田舎の中にも山を切り崩して新興住宅地が出来てる所もあった。そういうところは新規参入者と古参との間で軋轢ができる。
親同士、子供同士で仲たがいをして、新興住宅の子とは遊んじゃダメ!田舎の子とは遊んじゃダメ!というよく分からないルールができる。
そんな時、駐在さんはどちらとも関わるし話すけど、どちらにも居場所がない感じがする。
ないがしろにはされないけど、ここからは入っちゃダメという線引きが必ずある…という感じといえば分かりやすいだろうか。特に古参側。
上記の刃傷沙汰でもあったけど、集落の内々…の中に駐在さんは含まれていない。
駐在さんも長くて2年から3年くらいで人事異動になるし、大きな揉め事でもない限り集落のことは集落で…というスタンスがあった。表面上は良くしてくれるし、お互いになあなあな関係もあったと思う
小学校6年生のとき、私はある田舎の小学校に転校した。山に囲まれた見渡す限り田んぼだらけの正真正銘の田舎。その小学校は、1学年に20人くらいはいた。全校生徒で100人足らず。
私にとっては4番目の小学校になる。すっかり転校の達人になってた私は、教壇に立って自己紹介が終わり一番後ろの空いていた席に座ると、早速隣の席の女の子に話しかけた。「○○といいます。よろしくね!」
話しかけた後で気付いたんだけど、その子は顔が大きくて、目が開いてるのかどうか分からないくらい細かった。大人になってから思い出すとダウン症みたいな顔というのが一番近い。
(ふさわしい表現かどうか分からないけど他に表現方法が見つからない。不快になられた方がいたらごめんなさい。)
洋服はピンクのトレーナーなんだけど、全体的に薄汚れててグレーがかったピンクになってた。ズボンは黒いジャージ。
子供心にも、ちょっと障害がある子なのかなと思った。でもその子はゆっくりした声で「よ~ろ~し~く~」と返してきた。
話してみると、動作と会話が少し遅いけど、勉強は授業についてこれるくらいの知能はあった。
担任の先生が授業中ついてこれてるかどうか配慮するくらいで、あとは他の子とあまり変わらないようだった。
目が細くていつもにこにこ笑っているように見えたし、動作はのんびりした子だけど会話は成立するので、席も隣同士、女子同士で話す機会も多かった。この子をAとする。
お、いじめかいじめか~と、ちょっとわくわくしながら女子グループに囲まれていると、クラスの女子のリーダー的なBがちょっと言いにくそうに「Aと関わらない方がいいよ…」と切り出した。
私じゃなく、Aへのいじめか?とも思ったが、ちょっと女子達の様子がおかしい。なにか怯えているような様子だった。理由をよく聞くと、Bは両親から「Aに関わると呪われる」と言われているらしい。
他の女子達もそれをすっかり信じこんでいた。
もうね、それを聞いた瞬間思いっきり吹き出してしまった。呪いよ、呪い。んなあほなと。
でも、女子達は真剣だった。口々にAの呪いエピソードを出してくるが、それって勘違いじゃ?レベルのことばかり。(Aと話した日に怪我をしたとかそういうことばかり。)
Aが私以外の人と話している様子がないことも気づいていたから、こういうことだったのかと内心合点がいった。
しかし、その理由が呪いっていうのは納得いかなかった。私は女子達にそんな非現実的なことはないと言ったが、聞き入れてはくれなかった。
田舎の慣習については知っているつもりだったが、呪いというキーワードは始めてだったのでみんなをどう説得したらいいかも分からず、私はとりあえず「Aには気を付ける」と彼女たちと約束しその場を離れた。
とはいったものの、席は隣同士だしAと話すのは私だけなので必然的に2人組になるときはAと一緒になるし、いつもと変わらぬ日がしばらく続いた。
その頃から私以外の女子がぽつぽつとAと話すようになった。とはいってもプリントを渡す、とかそういった些細なことだったが、それまでAに近づこうともしなかった子たちだったから少し驚いた。
多分、Aに一番関わっている私が何ともないから安心したのかもしれない。転校生という新しい要素が、古い田舎の風習に風穴を開けたのかもしれないと私は内心思っていた。
秋のある日曜日、私は家の周りの田んぼで近所の子供たちと遊んでいた。そこにAが通りかかった。
Aの家は山一つ越えたところにあって毎日1時間かけて小学校に通っていたから、小学校に近い私の家の近所で日曜に見かけたのはこれが初めてだった。
Aは私に気付くと、うちに遊びにこないかと誘ってきた。近所の子はAを見ると蜘蛛の子を散らすように去って行ったが(たぶん呪いが~のせい)私はいいよ~と、Aについていった。
山道を行く道中、アケビやいちじくを取り食べながら行ったので、途中でお腹いっぱいになりつつ進むと、山の中のちょっと開けたところにAの家はあった。
一見すると農機具が置かれている小屋かと思うくらい小さくて、トタンの壁と屋根でできた家だった。
ここがAの家か~と思いつつおじゃますると、家の中は小さな和室と小さな台所があるだけの簡素な造りだった。
Aはそこでいつも一人で遊んでいると言った。周囲に民家はないし、いつも何をして遊んでいるのか聞くと低学年向けの絵本を取り出した。それ以外の遊び道具は見かけなかった。
私はだんだん飽きてきてしまって外で遊ぶことを提案し、その日はAに山の中を案内してもらって遊んだ。夕方になり、そろそろ帰るとAに伝えると引き止められたが、また遊ぼうと約束し帰宅した。
翌週の日曜、家の近所で再びAに会った。またAに誘われてA家に遊びに行くと、ぬいぐるみと人形があった。その日は2人でぬいぐるみや人形で遊んだ。帰宅時、Aに引き止められたが、また遊ぼうと約束し帰宅した。
その翌週も家の近所でAに会った。再びAに誘われてA家に遊びに行くと、ボードゲームがあった。人生ゲームとか、オセロとかいろんな種類があった。2人でそれで遊んだ。帰宅時、Aに引き止められたが、また遊ぼうと約束し帰宅した。
またその翌週もAに会った。再びA家に誘われたが、毎週遊んでいたので多少飽きていたのと、1時間かけてA家まで行くのが面倒で、その日は私の家の近所で遊んだ。3時頃、私はおやつを食べに帰宅しAは帰っていった。
その時、女子達の間ではシール交換が流行っていた。雑貨屋で売っている100円くらいの安い可愛いシールをノートや筆箱に貼るのだが、小学生では何枚も買えないから、余ったシールを友達同士で交換して種類を増やすのだ。
私もクラスの女子達と交換していた。Aはシール交換には参加していなかったが、Aの両親が買ってくれたのだろうかと考えた。そういえばAの家にいくたびに新しいおもちゃが増えていたっけ。
しかし、Aがくれるというシールはかわいい花柄のラメ入りの2~300円はするシールだった。ただもらうのではこちらも気が引ける。そう考えた私は、Aからシールを受け取ると、自分の持っているとっておきのキャラクターのシールをAに渡した。「交換ね~」と言いながら。
Aはすこし驚いたような困ったような顔をしたようだったが、私はいい交換ができたと内心満足感でいっぱいでそんなことは気にしていなかった。
その頃からだと思う。Aの持ち物が少しづずつグレードアップしていったのは。ノートは流行りのアニメキャラクターのものになり、洋服はフリルのついたブラウスになり、スカートをはいてくるようになった。薄汚れたトレーナーは見なくなった。
身綺麗になっていくAに反感をもつ女子がでてきたのもそのころからだったのだろうと今なら思えるが、私は人の格好にまったく興味のない性格だったのでまったく気付くことはなかった。
転校してきた当初は知らなかったが、Bの父親はPTA会長をしており、Bの家はこの辺の集落の農家を取り仕切るような(昔の庄屋のような)家らしい。
B自身はとてもかわいらしい女の子だった。みんなからの人望もあったと思う。クラスの女子達はBを中心にグループを作っていた。
Bは、私が机の上に広げたシールを見て「このシールかわいい~」と言ってきた。Aからもらったシールだった。私は何も考えずに「Aからもらった」とBに伝えた。
そのときのBの表情は、何と例えたらいいのか分からない。一瞬顔が引きつったように見えたのは気のせいだったのだろうか。
Bは「ふ~ん、Aからねぇ…」と言いつつ、私の隣の席のBを足元から頭までじっくりと見つめた。と思うと、Bの持っていた筆箱を取り上げた。
Bの筆箱は、春には去年家庭科で作ったというフェルト製のものだったが、今のはアニメのキャラクターが描かれた7か所入れる所がある最新のものだった。
「これ、ちょうだい!!」Bはそう言いながら自分のグループの子たちの方に走っていった。私は慌ててBを止めようとしたが、とっさのことで「ちょ…な!?」くらいしか言えなかった。
私はAの方を見て「先生に言わなきゃ!!」と叫んだ。Aは、Bの方をぼうっと見ているだけだった。しっかりしろと、私が思わずAの肩を掴んで揺さぶろうとしたとき、Aはぼそっと「いいの…」とつぶやいた。
「はあ!?」と思わずAに言うと、Aは、細い目をさらに細めて「そのかわり×××(聞き取れなかった)をもらうから…」と言った。
私はまた「はあ!?」と言ったとき、チャイムが鳴り先生が教室に入ってきた。私はとりあえず席に戻ったが、授業が終わったらこのことを先生に密告する気まんまんだった。
だが授業中、Bが突然倒れた。ひゅーひゅーという音が聞こえるなと思った次の瞬間、Bは机ごと床に投げ出されそのままけいれんをおこした。
騒然とする教室内、慌てて救急車を呼ぶ先生、Bを中心にできる人垣。何もかもスローモーションのように感じた。私は自分の席で起立したまま動けなかった。ふと、Aを見るとAは座ったまま運ばれていくBをじっと見ていただけだった。
Bはそのまま救急車で運ばれ、担任はそれに付き添っていった。その日、残りの授業は副担任が行った。
校長室に入るのは初めてで、緊張しつつ入室した。校長先生の机が部屋の奥にあり、手前に応接セットが置いてある。
そこに座っていたのは、Bの両親と教頭と校長、担任は入口付近に立った。偉い先生方が並んでいるのを見て子供心にもただ事ではないと思った。
真っ先に口を開いたのはB母だった。「なんでこの子は無事なの!?Bは○○ちゃん(私)は大丈夫だったって言ってたのに!」急に叫んだかと思うと、私に飛びかからんばかりの勢いで中腰になった。
B父はB母の肩を抑さえ、B母に席に座るように促した。
びっくりたまま状況についていけない私は、直立不動で動けなかった。今度は校長が優しく話しかけてきた。「ねえ、○○さん。Aさんからなにかもらった?」
校長の声は優しかったがうわずっていた。とても緊張しているようだった。
私はかすれた声で「…シールもらった…」と答えるのが精いっぱいだった。その瞬間、大人たちのはっと息をのむような声が聞こえた。
「なんで…」「この子は…」「Aから…」「なんで無事で…」そんな声を誰ともなくつぶやいていた。
ようやく頭が状況を整理しようと動き出した私は、例のAの呪いの件を思い出した。多分大人たちはAの呪いでBがあんな風になったと考えているんだろう。
そう考えると全てに納得がいった。と同時にムカついてきた。いい大人が何人もいて何を言っているんだ!と。
そして、叫んでしまった。「私はAとシールを交換しただけだもん!Bみたいに筆箱取ったりしてないもん!」
その瞬間、大人たちは一斉に私を見た。「交換…だから…」B母がつぶやいた。それにかぶせるように「お前はそれをBに言わなかったんかああ!!」とB父が叫び、私に掴みかかってきた。
B父を羽交い絞めにする校長と教頭、泣き叫ぶB母、もういっぱいいっぱいだった。
その時、制服姿の父が校長室に入って来た。多分いつの間にかいなくなっていた担任に呼ばれたのだと思う。
大人たちはとたんに静まり返った。「この子は…駐在さんとこの子か。」そうつぶやいてB父は舌打ちをした。
私は父と共に校長室を出た。私は茫然自失のまま家についた。家に入ると母は狼狽えていたが、何が起きたのか分からないのでどうしようもなく、何かできることもなかった。
父は私を家に送り届けると小学校に戻り、B父と話した。が、B父が一方的に怒っているのは分かるが、なぜ怒っているのかは詳しくは語らない様子で父にとっても腑に落ちない様子で帰ってきた。
両親は「何が起きたのかは分からないが、集落の有力者であるB父が怒りにまかせて私に何をするか分からないから引っ越す」ことを決めた。
ちょうど私も来年から中学生だし、いつまでも転校続きでは落ち着かないだろうというのが建前だった。
県の端から端の距離に父実家があり、土地も空いているから家を建てようということがその日のうちに決まった。
私と母はすぐに父方の祖父母の家に引っ越すことが急遽決まった。父は、とりあえず集落から離れた所にマンションを借り、駐在所に通うということだった。
でも、もし来年もここに残るようになったら(転勤がなかったら)どうするの?と聞くと、父は「こういうことがあったらすぐ人事移動があるんだ」と言い、実際に季節外れの年末の人事異動で、父は転勤になった。
ただ、その前にどうしても確かめたいことがあった。そこで私は家を抜け出し、Aの家に向かった。
平日の昼間、普通の大人なら仕事中でB父に見つかることもないだろうと思った。以前Aと一緒に上った山道を進んでいくと、途中の棚田で農作業をしているおじいさんに話しかけられた。
「お~い、なにしとんだ~」私は、人のよさそうなおじいさんであることもあって答えた。「この山の上にある友達の家に行くの~」
それを聞いたおじいさんは、農作業を中断して私に近づいてきた。「この山の中に人なんか住んでね~ぞ。お前さんどこ行くんだ。」
そんな馬鹿なと思った私は「そんなことないよ、Aちゃんっていう子。家は小屋みたいだけど何回も行ったもん。」と言った。その瞬間、おじいさんの顔色が変わった。
「おまえさん…は、駐在さんとこの子か。昼間っから子どもがいておかしいと思ったんよ。駐在さんとBさんとで話はついたようだけど、Bさんに見つかったら何されるかわからんで。
わしらもいくらなんでも小さい子を手にかけるのはいかんって、Bさん説得するのがやっとだったかんよ。駐在さんにはお世話になったしな。
おまえさんはこの集落からいなくなることで話がすんでんだ。さっさと帰んな。」
おじいさんからいきなり物騒なことを言われてびっくりしたが、おじいさんは私の状況を私以上に分かっていると思った。聞くならこの人以外いない。「Aちゃんは無事なの?」
「Aか、Bはあいつには手を出せんよ。絶対に。」おじいさんは何か確信を持っているように見えた。私は少しほっとした。
「Bちゃんは…?」そう聞くと、おじいさんはBの家の方向を向いて言った。「生きてはいる。」「生きてはいる…ってどういうこと?」私がもう一度聞くと、おじいさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おまえさんはもう関わっちゃいかん。今回はたまたま運が良かっただけなんだから、そのことを忘れちゃいかん。」
そう言い、私をまわれ右させると背中を押してもと来た道を引き返すように背中を押してきた。私は慌てて「BちゃんはAちゃんに関わったら呪われるって言ってよ!そういうことなの!?」と聞いた。
おじいさんは「呪い?」とつぶやくと「誰がそんなこと言ったんか?」と聞いてきた。
「BちゃんがBちゃんのお父さんから聞いたって言ってた…。」私が答えるとおじいさんはため息をついて言った。「若いもんのとこじゃそういうことになっとるんか…。違う、元々はそういうもんじゃないんじゃ。あれは…」
おじいさんは途中まで言い口を閉ざした。何かを考えているように見えたが何も言ってはくれなかった。そのうち「さっさと帰んなさい。本当はおまえさんと話してるんを見られただけでもわしも危ないんじゃから。」と言った。
おじいさんが本気で私を心配してくれているのは分かったし、おじいさんに迷惑をかけるのも悪いと思い私は家に帰ることにした。
「Aちゃん!無事で良かった。大丈夫なの?私は引っ越すことになったよ!どうなってるのか全然わかんないけど…」
矢継ぎ早にAに話しかけた私は、Aの様子がおかしいことに気付いた。ずっと、自分の足元をみたままこちらを見ない。
「Aちゃん、どうしたの?」私がAの肩に手を置こうとしたとき、「……ない……」Aがつぶやいた。
「…え?」聞き返すと、Aはすっと顔をあげ、ぐいっと顔を近づけると「○○(私)ちゃんは××××(聞き取れなかった)だから、もうとれない。」とささやいた。
いつも周りが見えているのかどうかわからないくらい細いAの目がわずかに開いていた。
そこが黒く塗りつぶされているように見えたのは、沈みかけた太陽の光の加減のせいだったのか。にやりと笑ったAは、私の知っているAとは違う何かのようだった。
あっけにとられる私の横をAは通り過ぎ、山道を駆け上って行った。Aと会ったのは、それが最後だった。翌日、私と母は祖父母の家に引っ越した。
以来、あの集落には近づいていない。家の中でもあの件はタブーになっている。楽しい家族の思い出話はいつもあの集落以外の話だ。
祖父母の家は割と大きな町の中にあったし、田舎以外の暮らしに慣れるのに一生懸命で、いつしかあの集落の事は記憶から薄れていった。
ふと思い出したのは、押し入れの中にあった小学校のノートの中からAからもらったシールが出てきたから。考えてみるとおかしなことはたくさんあった。
山の中の小さな家にいつも一人でいたA、いつのまにかたくさんあったおもちゃ、そういえばAの両親は見たことも聞いたもなかった。
どんどん身綺麗になっていたA、なぜAからもらったらいけなかったのか、あの大人たちの態度はどういうことだったのか、Bはどうなったのか。
考えても答えの出ないときはいつも、引っ越すときに言っていた父の言葉を思い出す。「世の中には、どうしようもないことがたくさんある」と。
以上です。
父方の祖父の田舎には「ゴッシャ」と呼ばれる妖怪みたいな話が伝わっていて、
いわゆる「言うこと聞かんと、ゴッシャが来てとって食われるぞ」的な
扱いだった。
私は普段は離れた地域に住んでたので、最初そうやってじいちゃんに怒られた時
「ゴッシャって何?」って聞き返したことがある。
結局じいちゃんは教えてくれなかったので、父に聞いたら
「夜中に音させながらやってくる化けもん、子供を攫うから話題にしちゃ
いかんって言われてる」と説明してくれた。
実際、夜寝る頃になってから、外で自転車のブレーキが軋むような音が
何度もしたので「誰か外にいるん?」って見ようとしたら、じいちゃんに
布団に押し込まれたこともある。
何日も続いて音がした時は、真夏なのに雨戸を閉めたこともあった。
「それってつまりちょっと危ない人が、夜中に自転車に乗って徘徊してるんじゃ」と
思うようになった。
仲良くなった近所の子も似たような感じで、本気で「ゴッシャ」を信じてる
人はいなかったと思う。
んでお盆の間は、ゴッシャは悪さをしないとも言われてた。
ここまでが前提。
盆踊りにも参加することになった。
盆踊りは自治会会館前の広場みたいなとこであって、この日は子供も
多少遅くなっても、親も見逃してくれる感じ。
でもまあ暗くて危ないから、山のほうとかは入っちゃいかんぞ!という感じだった。
何年か前に山の貯水池で子供がおぼれちゃったこともあり、特に貯水池のあたりは
立ち入り禁止になってた。
そしたら近所の子供のリーダー格の子が「せっかくだから肝試ししようぜ!」
とか言い出した。
でも行先は貯水池じゃなく、山の入口にある神社。
この神社は小さくて鳥居と祠しかないようなとこで、敷地内は真っ暗。
そこを探検しようぜ!ってことになった。
神社に向かって出発した。
田舎道だから街灯と街灯の距離はめっちゃ空いてるし、正直途中で帰りたくなった。
年少組の中には泣き出しちゃった子もいて、私は「帰ろう!」って言って、
神社に着く前に来た道を引き返した。
そしたら全員、文句を言わずについてきた。
それでもずいぶん時間がかかったので、親に怒られるなーとか思いながら歩いてたら、
背後から「キィー……キィー……」という、自転車のブレーキ音に似た音が聞こえてきた。
年長組で小さい子の手を掴んで、盆踊りの会場に向かって必死で逃げた。
その間も音は、多分一定の距離をおいて、ずっとついてきてた。
盆踊りの太鼓の音が聞こえるようになったあたりで「キィー……」が
聞こえなくなって、そこで私も気が緩んで涙が出た。
盆踊りの会場に戻った時は確か、夜の10時くらいを過ぎてたと思う。
子供達は家に帰って寝たと思ってた大人から、めっちゃ怒られた。
この時までは全員揃ってた。
そして子供達は示し合わせたわけじゃないんだけど、自分達をずっと
つけてきた音の話は、大人達にはしなかった。
「リーダー格の子がいなくなった」と聞かされた。
リーダー格の子はあの後確かに家に戻り、自分の部屋で寝たらしい。
でも朝起きたら布団はそのままでもぬけの空、ラジオ体操が終わる頃に
なって、もしや行方不明なのでは?となり、地域総出で捜索中とのことだった。
結局その子は見つからず、どこからともなく「ゴッシャにとられたんだ」という
噂が広まった。
貯水池あたりは特に念入りに探したんだけど見つからず、じいちゃんの家に
滞在している間、夜中にやっぱり何度か「キィー……」が聞こえてきて、
怖かった。
正確には5年ほど前に一度だけ、じいちゃんの葬式で行ったけど。
親戚からは「来たんかね!」と驚かれ、日帰りで帰らされた。
その時、行方不明になってたリーダー格の男の子のものだと思われる
白骨死体が、ちょっと前に山の中で見つかったと聞かされた。
ただ男の子の骨は全身揃った状態では発見されず、どんなに探しても
片足の骨がまるっと見つからなかったらしい。
つけられたってことを話せば、もしかしたらリーダー格の子は
生きてたんじゃないかと思うことがある。
「ゴッシャ」はもしかしたら地元じゃ有名な変質者だったのかもしれないし、
そう考えるとものすごくしんどい。
ただ、じいちゃんの田舎ではその後、子供は誰も行方不明になってないのが
救いだ。
筋書きが多いな
私の住んでる田舎では人里離れたある場所に秘密の底無し沼があって昔から家畜が病気などで死んでしまうとその沼に捨てていたんだけど家畜以外にも色々と沈んでいるらしい…
田舎こわいお…
昔の登記の地目に「死獣捨て場」なんてのもあったらしい
実家の裏山は松茸山だった。
所有者はうちのじいさんだが集落全体で管理し、利益を分配する。
松茸山には泥棒がつきものだが、裏山にもそんな奴らが度々忍び込んでいた形跡があった。
けっこういい収入になるので、見回りなんかもマメに行われていた。
大人の仕事場、と言われて子供は立ち入り禁止の裏山だったが、集落のガキにとっては
手頃な洞穴があったりしていい遊び場だった。
ある日、遊んでいる最中猛烈にウ●コがしたくなり、人気の無いことを確認して松の木の
根元で野糞を敢行することに。
見つかるとコトなので辺を見回しながらクソを垂れていると、少し離れた沢の下側から
オッサンが歩いてきた。
集落のオッサンではない。この山で知らない人間といえば松茸泥棒だ。
相手は一応犯罪者。見つかると何されるかわからないと思い、クソをしながら茂みに身を隠した。
沢の上側からスコップを持ったもう一人のオッサン。
こっちは知ってるオッサンで、うちの分家のAさんだった。
Aさんは泥棒に近づき、何やら会話をしている。
諭しているような感じで、泥棒も観念したのか背中のザックを地面に下ろした。
泥棒がザックを開けようと屈んだ瞬間、Aさんはスコップの背で泥棒の頭を思い切りブッ叩いた。
あまりのことに出るものも出なくなっていた俺は、ケツを出したまま固まっていた。
泥棒はそのまま前かがみに倒れ、Aさんはザックを持つと泥棒には目もくれず沢を下っていった。
翌日もその次の日も集落内で泥棒の話は出なかったし、Aさんも普通に畑仕事に精を出していた。
泥棒がどうなったのかは知らないが、警察沙汰にもならなかったしどうにか自力で山を下ったんだろう。
ただあのとき、一瞬だけAさんと目が合った気がする。
普段は陽気なスケベ親父のAさんだが、あのときはひどく無表情で本当に怖かった。
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